私の中に眠るひょうきん

最近わたしのひょうきんさが増している。ひとえに、同居人のせいである。

息をするように適当なこと言ってまわりを笑わせている彼につられて、つい変なポーズやら動きをしてしまう。(ちなみに、真剣に何かを直してほしいときやして欲しい時も適当なことを言われるので、その場合はとてもいらっとする)

 

もともとひとり遊びが好きな人見知りな子供だったのだが、妹が生まれると言うので、背伸びしてお姉ちゃんになったがゆえに、真面目に見せようとしてきた。と、書こうと思ったけど、そんなことなかったわ。子供のころ妹と2人で大ミュージカル大会を車の中で開催していたではないか。 

 

どこでこうなったのか。

マイペースなのは生まれた時からずっとかわらず、学校の規則は窮屈だし、同調圧力かけてくる同級生には興味持てないし、人の輪に入ろうとしなかった結果、そのスキルが身に付かなかった、というのが妥当だろうか。

誰もわたしのことをわかってくれない気がしてたし、まあまあ勉強ができて、ちょっと絵が描けておしゃれなことに興味があったので、まわりのことをほんのり見下していたと思う。いまもその癖が抜けてないのを発見して嫌になることがある。

 

その手の自尊心、あるだけ苦しいだけなのにねえ。

 

学校というのは特殊なところで、同じ地域の同じ年の子供というだけで1箇所に集まって生活をしている。そんなところ学校以外にたぶんない。かといって習い事に行けば友達ができるかというと、そうでもなかったな。

 

何者かになりたいが、何者になりたいのかはわからないティーンエイジャー。

 

もしくは、わたしは目立つ外見をしていたので、そのイメージに合わせなきゃと思っていたところもある。やっかいだなあ。この外見にかなり振り回されたような気もする。でもそれも言い訳かもなあ。

 

ふわふわしてるだけのティーンエイジャー期。

 

興味ある人にしか興味ない。

どこかで聞いたようなことしか言わない人には興味がない。これは今もそう。

でもこちらの聴き方がいけないだけで、本当は凄まじい人生を送っているかもしれない。

村上春樹アフターダークを読んでからそんなふうに思えるようになった。

 

アフターダークを勧めてくれたのは彼だ。

物理的に人との距離感がやたら近くてはらはらするけど、あんなに本読んでるのに漢字苦手なの不思議だけど、いつも真剣にさぼったり笑わせたりしてるところが好きです。