なんでも面白くみることができる

本や映画やドラマ。自分が面白くないと思っても、自分が何を面白くないと思ってるのかを探りながらみる。 面白がってる人が、何をどう面白いと思ってるのかを探りながら見る。そうすると、内容の面白さの上に、何を面白いと思うのか、のレイヤーが立ち上がる。すると、共感できなくてもコミュニケーションが取れる。てことは、それはもう面白いのだ。

 

ちなみに、これは、自分はセンスなくて嗜好性もよくわかんないから、質の前に量をインプットしなくては、というスタンスで勉強しはじめて身についた面白がり方だと思う。機械学習に近い考え方かもしれない。

 

わたしが仲良くなるのは、みんなこれができる人だと気づいたのは、これを書きながら。なるほどなあ。

 

守娘 女性として生まれて生きるということ

守娘という台湾のマンガを読んだ。

清の時代のお話ということだから、17世紀か。日本は江戸時代の始まりくらいだ。

 

男性には幸も富も多いとされ、娘が生まれることはあまりよしとされなかった、とされる時代の、そろそろ結婚する年頃の、潔娘(ゲリョン)を主人公とし、台湾の三大伝説のひとつをモチーフに、物語は進行する。

 

男尊女卑という言葉では足りないくらい女性の意思は尊重されない。しかしお祈りや儀式は尊重される。

 

生まれてくる(とくに最初の)子どもが、男の子でうれしい、という言葉を、現代でも見聞きする。その度にクエスチョンマークで頭がいっぱいになる。わたしは女性として生きてきているのだが、どちらでもおなじ人間だし子供ではないか、と素朴に思う。データを見始めたら、女性のガラスの天井は劣化としてあるし、男性の犯罪率は高いし、ほかにもいろいろある。おそらく、どこを見るかでどちらが良いというのは変わってくる。

 

生まれてくる性別なんてそんなもん選べるものでもないし、どっちでも本人の特性と環境と教育によるじゃん、といつも思う。子どもを産むとなったら、どこかで腹を括って、生まれてくるその人がなるべく幸せになるように最大限はからうほかない。性別がどちらでも、特性がどんなでも。そこから何を得られるかは、そこに関わる本人次第だろう。

 

その伝説のモチーフは、貞操を貫いて死んだ未亡人ということらしいのだが、悪霊としてこの世に残ったのに、悪い奴らを呪い殺し、でもその後は加護を求めて信仰が生まれる、という、悪いのか良いのかわからないプロフィールの人物である。(理解が足りないかもしれないけど)

日本だと、菅原道真が怨霊として恐れられた後に神様として崇められているようなことかなと思うけども。

 

実在の人物を信仰するというのがあんまりピンとこないようなきもするけど、ブッダもイエスもいたんだもんなたぶん…

 

時代をとっても場所をとっても、わたしはとても恵まれた環境で生きている。大学まで行かせてもらったし、セクハラにもパワハラにも大してあわず(皆無ではない)、結婚については小言を言われつつも自分の意思のもと人生を歩んで来れている。自分の意思で何かを決めることのキツさというのもあるのだけれども、それは団扇の両面というか、とはいえ自分の意思だけではどうにもならないということを、ある意味諦めることも必要で、そうでないと自分の選択の重さ(クンデラに言わせたら軽さなんだろうね)に押しつぶされてしまう。

 

しかし、本当に先人たちが命を賭して切り開いてくれた生きる道があるからこそ、わたしはここでのうのうと生きていられるんだな。そこんとこ忘れないでいかねば。

おふざけ期

ふざけあえるということが、いかに幸せなことか。

 

別に誰かの顔色を伺いながら生きてきたつもりはない。でも、思い返すと家の中であんまりふざけたりしなかった気がする。おひめさまごっこ、魔法使いごっこ、ミュージカルごっこはしてたけど。

 

いままでの、いわゆる彼氏彼女という間柄の人たちとも、たのしくおしゃべりしたし、良い思い出もあるけれど、ふざけあう、じゃれあう、みたいなのはなかったと思う。

 

ですので、いまは人生初の、おふざけしても大丈夫期なのです。ちょっとずつできるようになっているおふざけ期。なんと自由なことよ。

 

私の中に眠るひょうきん

最近わたしのひょうきんさが増している。ひとえに、同居人のせいである。

息をするように適当なこと言ってまわりを笑わせている彼につられて、つい変なポーズやら動きをしてしまう。(ちなみに、真剣に何かを直してほしいときやして欲しい時も適当なことを言われるので、その場合はとてもいらっとする)

 

もともとひとり遊びが好きな人見知りな子供だったのだが、妹が生まれると言うので、背伸びしてお姉ちゃんになったがゆえに、真面目に見せようとしてきた。と、書こうと思ったけど、そんなことなかったわ。子供のころ妹と2人で大ミュージカル大会を車の中で開催していたではないか。 

 

どこでこうなったのか。

マイペースなのは生まれた時からずっとかわらず、学校の規則は窮屈だし、同調圧力かけてくる同級生には興味持てないし、人の輪に入ろうとしなかった結果、そのスキルが身に付かなかった、というのが妥当だろうか。

誰もわたしのことをわかってくれない気がしてたし、まあまあ勉強ができて、ちょっと絵が描けておしゃれなことに興味があったので、まわりのことをほんのり見下していたと思う。いまもその癖が抜けてないのを発見して嫌になることがある。

 

その手の自尊心、あるだけ苦しいだけなのにねえ。

 

学校というのは特殊なところで、同じ地域の同じ年の子供というだけで1箇所に集まって生活をしている。そんなところ学校以外にたぶんない。かといって習い事に行けば友達ができるかというと、そうでもなかったな。

 

何者かになりたいが、何者になりたいのかはわからないティーンエイジャー。

 

もしくは、わたしは目立つ外見をしていたので、そのイメージに合わせなきゃと思っていたところもある。やっかいだなあ。この外見にかなり振り回されたような気もする。でもそれも言い訳かもなあ。

 

ふわふわしてるだけのティーンエイジャー期。

 

興味ある人にしか興味ない。

どこかで聞いたようなことしか言わない人には興味がない。これは今もそう。

でもこちらの聴き方がいけないだけで、本当は凄まじい人生を送っているかもしれない。

村上春樹アフターダークを読んでからそんなふうに思えるようになった。

 

アフターダークを勧めてくれたのは彼だ。

物理的に人との距離感がやたら近くてはらはらするけど、あんなに本読んでるのに漢字苦手なの不思議だけど、いつも真剣にさぼったり笑わせたりしてるところが好きです。

 

 

大きな物語/小さな幸せ

若者の自殺率が高いのは大きな物語がないから、と言った人がいるらしい。なんとまあ。むしろ、あらゆる圧力は高まってると感じるけれども。

 

自分の足元も見えないのに、大きな物語に踊らされてたまるかい。そんなもののために生きてない。

 

美しい空や、気持ちの良い風や、季節ごとにほころぶつぼみを愛で、好きな人たちとたくさんはなして、知らないことを知ったり気づいたりして面白がる。そういうのを幸せと呼ぶんだ。それができないところになにかを積み上げても、何にもならない。

 

何かを目指して研鑽するのも面白い。でもそれを達成してしまったら?次々と目標が現れるかもしれない。でも、それも達成してしまったら?

 

信じることと諦めることはたぶん紙一重だ。この世は、複雑さを整理したり不可能を克服したりすることをいったん諦めなければ受け入れられない。最初から諦めてはいけないけれども。でも、その諦めなしに何かを信じることはできない。たぶん。一度そこにたどりついたら、些細なことを愛でたり面白がったりできるようになる。その上で物語が生まれるなら、それは素敵なことかもしれないね。

 

 

 

おいしいもの 地味に複雑なやつら

ここ最近、大阪に行くたびに喜八洲総本舗のみたらし団子を食べてる。めちゃくちゃ美味しいのよ。

 

どう美味しいかと言うと、

・焼き立て

・さくっふわっもちっな食感

・ちょうど良いコゲの苦味

・甘さ控えめのみたらしあん

・団子が小さめの俵形で食べやすく、あんがしっかりからむ

 

さいこーです。

サイズ感、苦味、甘み、食感のバランスが、すばらしくよい。はー。さいこう。あんを美味しく食べるためのコゲと団子ってかんじです。

 

あまじょっぱいってだけである程度複雑な味付けではあるんだけど、そこにコゲの苦味と、歯切れの良い食感が加わって、複雑さが一階層あがっているかんじがする。

 

家族に「だんごシリーズ」と呼ばれている私と妹の写真がある。人生で初めてお団子屋さんで団子を買って食べ、口のまわりをみたらしあんや醤油でべったべたにしてる写真。いかにもこどもらしい写真。思えばこれが「おだんごはおいしい」という原体験だったな。

 

おなじく大阪にとっても美味しいコーヒースタンドがある。こちらのコーヒーも、酸味と華やかさと苦味がいい感じの複雑さでやってくるお味なのです。

 

一般的にいわれる美味しさは、濃厚、どっしり、とろとろ、まろやか、みたいな感じが多いけど、濃ゆい分すぐ飽きちゃうのよね。

 

軽くて複雑なのが、いちばん面白いです。

 

おいしいはおもしろい。

 

 

 

2024/2/19 バーカロと立ち飲みと上品さについて

最近は仕事が落ち着いている。落ち着きすぎている。もうちょっと人と話したほうが良い。

 

前に住んでいた家の近くに立ち飲みのワインバーがあり、足繁く通っていたのだが、引っ越しを機にめっきり行かなくなり、他にも行きやすいところを探していた。検索してGoogleマップにピンを立ててから随分時間が経ってしまったお店についに行くことができた。

 

イタリアの、しかもベネチア式の立ち飲み屋。現地ぽい程よくそっけない感じ。そしてワイン一杯とおつまみ3つで1000円前後という現地っぽい価格設定。最高です。そしてずーっと食べたかった干し鱈のペーストもある…!

 

社会人になりたての頃、というか、何を生業にして生きていくかまだ定まらない若かりし頃。バイトの働かないと稼げない働き方よりも、有給休暇を使える正社員の方が、やりたいことできるんでは、と就職し(ちなみに法律的にはバイトも一定期間働けば有給休暇の権利はあります)、働き始めてすぐに長期休暇を取り(空気の読めなさすごいね!!)向かった先がヴェネチアでした。

現代アート好き、勉強してるとか言っておいてヴェネチア知らないのはまずかろうと、無理やり行ったのでした。

よくよく考えたら、それよりもニューヨークだろという気もしないでもないのですが、ニューヨークはお金の匂いが強めだし、ベルリンもロンドンもパリも行ったしな(貧乏旅行で)、ということでヴェネチアビエンナーレを目指しました。

 

で、そのときの素晴らしい鑑賞体験は別の時に語るとして、食事が問題だったのです。なにしろ英会話初心者の女ひとり旅です。友達はできるわけがなく、いかにもイタリアなひげのおじさまに「ボクのレストランに遊びにおいで!」と駅前のカフェでナンパされてもリスクを考えると行くのは気が引け、見事に夕食難民になりました。昼食は歩いてるうちにパン屋やカフェにぶち当たるので、ピッツァやフォカッチャサンドを頬張れば良いのですが、夕食はそうもいかん。1人で食堂的なところにどうにかこうにか入っても、みんな分け合う前提のポーションで提供されるので、よけいに寂しさは募ります。

 

で、4年後の再訪の際には学びました。1人で入れるところを探そうと…!下調べの末わかったのは、バーカロと呼ばれる立ち飲み屋は、ワインとおつまみのセット(オンブラ・エ・チケッティ)があり、みんなさっと食べては出ていくということ。あーこれです。私が求めていたのはこれ。カロリーや栄養が足りてないのはスーパーでりんご買ってかじって補うから、そのほかのチャンスは現地のお酒とおつまみの味を少しずつ味わうのに全振りします!!

 

いざヴェネチア、いざバーカロ(もちろんいざアート!!)

2度目の訪問は土地勘も多少つき、水上バスも乗りこなし、現地スーパーを回る余裕もあり、そのついでに、余裕を持って、目についたバーカロに入って腹ごしらえしながら展示会場をまわりました。わりとね、ちょこちょこあるんですバーカロ。これといった観光スポットがない(むしろヴェネチア全体が観光スポットと言える)小径にもあるのです。さっと入って、バーカロ・エ・チケッティを片言でオーダーし、ケースのなかからチケッティを指差しでオーダーし、いろいろと食べました。イタリア語わからないし手書き文字読めないし、完全にフィーリング。ナスやイワシもオリーブも美味しかったけど、わーなにこれ美味しい!!となったのがひとつあった。白いクリームの中に、もちっとした繊維ぽいものがみっちり入ってるやつ。クリーミーでほどよく濃ゆくてワインに合う!これがバッカラ・マンテカート(干し鱈のペースト)との出会いでした。

 

滞在中はいろいろ見るのに忙しく、あの美味しいのがなんだったのかわからずじまいだったのですが、あの旨味は干した動物性たんぱく質だろうな…というところから、ヴェニスだし魚かな?と見当をつけ、帰国してから検索して、バッカラ・マンテカートという名前に辿り着きました。

日本でもあれを食べたいと願い続けて5年。やっと出会ったのが、今日のお店なのでした。

(話が長い)

 

そしてこのお店、けっこう現地ぽい作りな上に老舗らしい。スタッフさん若くて慣れてなくてそこはいかにも繁華街ぽくてどうかなーと思ったけど、カウンターにいたご婦人が、あらいつもの〇〇さんはいらっしゃらないの?と話しかけており、あー常連さんのいるお店でこれなら希望あるわ。となったのでした。また、このご婦人がおしゃれで。ピンクのほそいストライプのシャツにラインのキレイな黒いパンツ。ロマンスグレーの髪をクリップで留めて、お化粧も水色をつかったカラーメイクでとーっても素敵だった。素敵な人がいる店は良いなあと思ってたら、あとから話しかけられ、ずーっととっても上品でした。また会えるように通う。

 

そういえば、立ち飲み屋さんって、みんなお酒飲みたくて来てるし団体客がいないから治安良いのですよね。立ち飲み屋最高です。