企画書と文章と自分 

仕事のうえで、なにかを分析して考えようとする時、どーしても自分が出る。数字が出てなくて想像で埋めようとする時。

何も考えないでこれが好きとか言ってる時より自分が出る。しかも嫌な感じで出る。うーわ、わたしやなヤツだなあと思う。

 

人間は考えたいように考えてしまうものだから、自分以外の物差しを横に置いて考えなくてはと思って、やってはいる。それでも自分の偏った見方がどどんとでる。一晩おいてみるとそれはもうありありとわかるようになる。昨日の自分に、それはないんじゃないのとツッコミを入れながら、直す。

 

センス、みたいなことについて、おしゃれ、みたいなことについて。うまさ、とか、かしこさ、とか。私の方ができるし、と、わたしは全然ダメだ、という気持ちが行ったり来たりする。この考え方って他人を下に見ることで自尊心を保っているわけで、あまり健全じゃないなと思う。いまはその頻度はかなり減ったつもりになっていたけど、やりたいことを通すために頑張ろうとすると、にょきっと出てくる。成功したいと思うし、自分を大きく見せたいし欲もある。でもやってみたいなと単に面白がっているところももちろんある。

 

自分というものを滅して仕事をすることは可能なのだろうか。完全に他者のために仕事をすることは。業種や職種によっては可能なのかなあ。

 

いつでもなるべく公平公正でいたいと思う。でもたぶん無理で、どこまで考えても何かが偏るもんなんだねきっと。そう思っておかないと、大切なものやことを失いかねないなとも思う。世の中はそこまで私を見てはくれないし考えてはくれない。