2024/2/15

結果として3日連続飲むことに。1日明けて日曜日も飲んでいる。最近あんまりなかったけど、そういう巡り合わせのタイミングなんでしょうね。

 

飲むと本性が出るらしいですよ。

わたしは嘘つくの下手なんであまり変わりません。ちょっと気が大きくなるのと楽しそうになります。好きな人と飲んだらゆるみます。それだけ。

 

婚活のはなしを別の人から連続で聞き、あのきゅうきゅうとした気持ちを思い出す。必死なのに噛み合わないあれ。就活と似てる。虚勢をはってもボロが出るだけなのに、よく見せようとしてしまうあれ。

というのとは別にして、すべてはモテるためである(二村ヒトシ)は名著です。あんなにやさしい本はない。

 

みんなに幸あれ。

こどもの強がりと会話について スーパーカー

先週友達のうちの子が泊まりにきた。かれこれ知り合って7年。一緒にあちこち行ったしお泊まりもしてるので、私のことは「知ってる人」として接してくれるのだが、うちの人はまだ2回目なので横目で警戒。が、そこを飛び越えて向こうがサービスしようとするもんだから口が悪くなる10歳。いやーむずかしいよねえ。

 

そういう言葉遣いに学校で触れてるということもあるだろうし、それによってコミニュケーション取ろうとしてるところもあるんだろう。しかひ、これからやってくるティーンエイジャー期に向けて、ちゃんと怒れるようになっておかなかればと思った次第です。怒るの苦手。でも言わなきゃわからん。

 

ひょんなことからスーパーカーを改めて聴き始め、デビューアルバムが17歳ということで衝撃を受ける。恐るべし青森の17歳。わたしは初期が暗くて投げやりで好きですよ。

 

時間通りに出かけられない 詳しくなるということ

金曜日はお休みを取って普段行かないところに行ってちょこまかと美味しいものを食べた。

 

午前中は例によって寝起きと段取りの悪さによって一悶着あった。これは本当はマインドセットの話で、予定していた時間に必ず出なければいけないと強くはっきり理解していれば遅刻はしない。そういうときはあらゆることを横に置いて時間に合わせる最低限のことしかしないから。時間通りに出られない時は、それを上回る大事なこと(に思える)事柄が横入りしてきている。で、その横入りしてくるものというのは、瑣末なことに見えてもそのときの自分をメンテナンスしたり盛り上げたりするものだったりして、睡眠と同レベルで大事だと思っている。ちなみに、この自分というのは、自分の服や部屋も含まれる。

 

じゃあそこまでわかってるんだったら治しなさいよという話なんだけど、朝のぼーっとした頭でゼロからマインドセットしていくのは不可能なので、前日夕方くらいまでに、大きい予定の時は数日前とか1週間前くらいからわかるとかなり良い。1週間前にわかると何が良いかというと、予定のある週の週末にできない家事や用事を先回りしてやったり気持ちの上で諦めをつけてしたりできるから。

で、この辺のことは私の中では自明なことなのですが、他者には言わなきゃわかんないのよね。

 

肝心の美味しいものをちょこまか食べまわる会は、料理つくってる2人と行ったので、味の解像度が高くて面白かった。この解像度高いというのがわたしはどうやら好きらしい。知らないから知ってるになり、どんどん詳しくなるのが楽しい。詳しくなるというのは、そのものごとの感触を知っていて、それを再現できることだと思う。再現するというのは、つくったり模倣したりということもあるが、適切な言葉をあてられることな気がする。

企画書と文章と自分 

仕事のうえで、なにかを分析して考えようとする時、どーしても自分が出る。数字が出てなくて想像で埋めようとする時。

何も考えないでこれが好きとか言ってる時より自分が出る。しかも嫌な感じで出る。うーわ、わたしやなヤツだなあと思う。

 

人間は考えたいように考えてしまうものだから、自分以外の物差しを横に置いて考えなくてはと思って、やってはいる。それでも自分の偏った見方がどどんとでる。一晩おいてみるとそれはもうありありとわかるようになる。昨日の自分に、それはないんじゃないのとツッコミを入れながら、直す。

 

センス、みたいなことについて、おしゃれ、みたいなことについて。うまさ、とか、かしこさ、とか。私の方ができるし、と、わたしは全然ダメだ、という気持ちが行ったり来たりする。この考え方って他人を下に見ることで自尊心を保っているわけで、あまり健全じゃないなと思う。いまはその頻度はかなり減ったつもりになっていたけど、やりたいことを通すために頑張ろうとすると、にょきっと出てくる。成功したいと思うし、自分を大きく見せたいし欲もある。でもやってみたいなと単に面白がっているところももちろんある。

 

自分というものを滅して仕事をすることは可能なのだろうか。完全に他者のために仕事をすることは。業種や職種によっては可能なのかなあ。

 

いつでもなるべく公平公正でいたいと思う。でもたぶん無理で、どこまで考えても何かが偏るもんなんだねきっと。そう思っておかないと、大切なものやことを失いかねないなとも思う。世の中はそこまで私を見てはくれないし考えてはくれない。

 

 

モナリザにカボチャスープ

またかー

ミュージアムは白人男性のものだ、というのも読んだけど。それもわかるけど。

 

もう2度と作れないものなんだぞそれは。

人類の叡智と可能性なんだぞそれは。

芸術を軽んじるならば、社会の発展も個人も蔑ろにするってことだ。レオナルド・ダ・ヴィンチのように、ゴッホのように、物を見られる、そしてそれを定着できる、ということがどれだけすごいことか。

 

まあね。ことは複雑ですよもちろん。

でもさ、ミュージアムってそもそもが権力側が収蔵品を見せる場所だったわけで。そこを公共空間にするために努力せねばならんっていうのはわかるけど、ルーブルなんてその最たる物じゃないですか。そんなきれいに行くわけないって。

 

というか、あーそういう二重構造なのね。

 

であれば、わたしのは素朴な芸術を信じる気持ちということになると思うけど。でもそれで良い気がする。権力があるから良いものと、そうでないものがあり、作品自体に力がないものは、残らないと思うのです。だからやっぱりスープかけるのは違うよねと激しく思うわけです。話題になるからって傷つけていい物ではない。

 

 

 

2024/1/27

久しぶりの友達が来る日。

 

うちの人のご飯はとてもとても美味しいので、我が家にはちょくちょく人が来る。わたしも彼の作る料理は大好きだ。ここからわかる通り、我が家の台所は99%彼のもので、私が使うのは、お茶を入れるときと、蒸しパンや麺を粉から作るときくらいである。(特に排除されているわけではなく、彼が作った方が10倍早く100倍美味しい。あとは、どこに何があるかわからないものがある、もしくはどういう使用計画なのかわからない食材を使うのが気が引ける。という理由でそこまで立ち入らない。掃除はする。)

 

朝起きて朝ごはん食べて、片付けして掃除して、お化粧して出かける。それだけなんだけど。

 

片付かない。びっくりするくらい片付かない。部屋から部屋へ避けることはできる。が、それほ根本解決じゃないんだよなあ。

 

でも、ご飯はとても美味しく。

同じことを、それなりの関門を潜り抜けて学んだ中なので、話は合う。楽しかったなあ。

理想の休暇と人生

わたしの理想の長期休暇は、よしもとばななのアムリタという小説に出てくるサイパンと高知。

 

サイパンはリゾートビーチに近い宿で、海の音を聞きながら眠ったり、泳いでナマコ踏んだり、ビーチでよっぱらったりしながら、その土地の濃い空気に当てられたりする。

 

高知は、マンションに泊まってというか半ば住んで、釣りしたり美味しい魚食べたりして、きれいな夕日に打ちのめされる。

 

よしもとばななの小説はいつも、普通の人生と生活から外れちゃって、どしよっかなーとちょっとおやすみしている人の話だ。そこに憧れてるといつまでも社会で生活できない、と気がつくまでまあまあ時間がかかった。大好きな小説で、何度も読み返しているけども、影響されてうまく働けないのは困ったもんです。読むタイミングが間違ってたな。

 

あーいつそんな休みが取れるんだろか。3日に一度くらいはこの休みを取りたいと思っている。そもそも、現代人(日本人)はそんなお休みを取ることは可能なのだろうか。なんで働いてるんだろうなあ。

 

もし妊娠したら、少しは休めるんだろうか。

こないだ、祖父の危篤から葬儀まで10日くらい仕事を休んだ。自分の生活圏からも離れて、都会のルールからもはなれて、家の用事のために走り回った。文字通り走り回っていた。仕事をしながら都会で暮らしている私は、都会のルールに染まっていて、たまにふとみた木陰や夕焼けやにハッとしたりはするけれど、もっとたくさんある美しい瞬間は全て見逃しているし、それを共有し共感してくれる人も多くはない。田舎には田舎のルールがあり、わたしにはそれが見えていないから美しく見えるだけかもしれないね。

 

妊娠したら、止まることはできない。今の生活もとても楽しくて、尊い。それがなくなるのは怖いし不安。

 

あーあ。どうしようかなあ。