2024/1/22

汗だくで起きる。

寒いんだか暑いんだか。

 

昨日書けなかったことをメモしてたのでそれを。

 

立川談春の赤めだか読了。

人生と根多がどこでシンクロするかわからないから根多は多い方が良いとは談志の言葉。落語じゃなくても、物語も言葉も多い方が良い。経験するためにも本を読もう。文書を読もう。

 

逆に、今の私には必要なくなってしまった本もある。懐かしくて手放したくない本というのもあるけど。世間では評価されてるけど今の私には必要ないな、とか。一度必死に読んだけど身にはなってないなとか。生活の中で読書に充てられる時間は限られているので、優先順位をつけざるをえない。どうしたらゆっくり読む生活ができるようになるんだろうか。

 

いま我が家は本の山ができている。服の山もある。6-7割は私のものではない。自分のものでないものを片付けてもらうのはとても難しい。その上、片付けの方針・重要度・暮らしやすさの理想がことごとく食い違う。というか向こうのビジョンはほぼゼロ。めんどくさがり。この状態からどうやってビジョンを持って貰えば良いのか。 

片付けをしていると、どうして私だけ、と、湧き上がるイライラ。この家で暮らし始める時にそれぞれのスペースをきっちり分けて、その中は自由にしてねというのが最も効率的かつ幸福な方法論だったとはずだが時すでに遅し。空間を分けようというのが、私たち別れましょうというのとニアイコールにきこえるようで、あまりよろしくない。もちろんそんなことはない。しかし、どんなに好きでも他者は他者なのだ。大人になった人間の習慣を変えるのは易しくない。

 

物を溜め込むのも捨てられないのも長年の習慣によるものだろう。わたしももともとは片付けられない人間だった。変わったのは、一人暮らしをはじめてしばらくたったころ、この部屋だと友達を呼べないの寂しいし、理想の部屋に全然ならない!なんでだ!と我に帰り、使わない物を捨て、思い出の品も整理して、動線をととのえた。すると片付け自体が楽しくなった。一つずつものを動かすだけで、心地よく動きやすい空間が生まれる。地道な魔法。このすっきり感をはやく経験してほしい。

 

物を手に入れるより、物を使ったり手入れすることのほうが楽しい。そして家そのものも、物だということに、はやく気づいておくれ。